長崎被爆者救済「差別か」「死んでしまう」 明言せぬ首相に怒り [クロ★]
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1628550680 />
 米軍の原爆投下から76年の9日、長崎は台風9号の雨が早朝に上がり、青空が広がり始めた中で平和祈念式典が開かれた。しかし「あの日」を知る人たちの心は晴れない。就任後、初めて式典に参列した菅義偉首相は国の援護対象区域外にいた「被爆体験者」の救済にも、今年1月に発効し核兵器の保有などを禁じた核兵器禁止条約への参加にも触れなかった。6日の広島平和記念式典では対象区域外住民の救済に言及していた。「長崎を差別する気か」。怒りの声が上がった。
 「実質ゼロ回答だ。広島では回答したのに、長崎の被爆体験者の求めはたなざらしのままだ」。式典後、菅首相と面談した被爆者5団体の一つ、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(81)は肩を落とした。
 被爆体験者は原爆投下時、国が定める被爆地域(爆心地から南北へ約12キロ、東西へ約7キロ)の外にいた人たち。被爆地域が当時の行政区域などに沿って指定されたため、爆心地の東西では南北と同じ半径12キロ圏内にいても被爆者と認められない。被爆者は医療費の窓口負担が原則不要で健康障害などに応じて手当も支給されるが、被爆体験者は医療費助成が精神疾患などに限定される。被爆体験者精神医療受給者証の所持者は長崎県内で5425人(3月末)に上る。
 9日の平和祈念式典であいさつした菅首相は被爆体験者の問題に触れず、被爆者団体と面談した後の記者会見では「(広島では救済に向けて)県、広島市、国の3者で連携しているが、長崎は訴訟が継続中なので行方を注視する」と区別する考えを示した。
 被爆体験者らの落胆は大きい。爆心地から東へ約11キロの旧戸石村(現長崎市)にいた山下マサヨさん(80)と相浦洋子さん(77)の姉妹は語気を強めた。「こんな体になったのは原爆のせい。(広島と)同じ状況にあった私たちも被爆者と認められるべきです」(山下さん)
 原爆が落とされた日、4歳の山下さんと1歳の相浦さんは自宅近くの海岸で遊んでいた。閃光(せんこう)と爆音の後、暗くなった空から灰が降り、逃げ込んだ防空壕(ごう)の横にあったビワの葉に積もった。しばらくして黒い雨が降り、服が黒く汚れた。その後の生活でもため池に浮いた灰やごみをひしゃくでよけて水を飲み、畑で取れた野菜やサツマイモのつるを食べた。
 山下さんは心臓が悪く、大腸がんなどの手術を受けて肺がんの疑いもある。相浦さんは幼いころから腎臓が悪く、5年前には脳梗塞(こうそく)で倒れた。国や市、県に被爆認定を求めた集団訴訟の第1陣は2017年、最高裁で敗訴が確定したが、18年に再び長崎地裁に提訴した山下さんら28人のうち21人が原爆投下後、黒い雨や灰が降ったと証言している。
 山下さんらと同じ訴訟の原告団長、岩永千代子さん(85)は首相のあいさつを中継で見て「うそつきと思った」と憤る。広島高裁は今年7月、援護対象区域外にいた原告84人全員を被爆者と認め「黒い雨に打たれた人は無論、雨に打たれなくても空気中の放射性微粒子を吸ったり、混入した水を飲んだり、付着した野菜を摂取したりして体内に取り込むことで健康被害を受ける可能性があった」とした。国側が上告を断念した際、首相は「原告と同じような事情にあった人は救済するよう早急に検討する」と述べていた。
 それなのに――。「一緒に裁判をしている28人はみんな病気を持っている。首相は『裁判の行方を見守る』というが、それではみんな死んでしまう。早く助けてほしい」。岩永さんは祈るように話した。【中山敦貴、松村真友、樋口岳大、今野悠貴】
毎日新聞
2021/8/9 21:10
https://mainichi.jp/articles/20210809/k00/00m/040/229000c

岩永千代子さん(85)は首相のあいさつを中継で見て「うそつきと思った」と憤る。
>>広島高裁は今年7月、援護対象区域外にいた原告84人全員を被爆者と認め
>>「黒い雨に打たれた人は無論、雨に打たれなくても空気中の放射性微粒子を吸ったり、
>>混入した水を飲んだり、付着した野菜を摂取したりして
>>体内に取り込むことで健康被害を受ける可能性があった」とした。
85まで生きた奴がそれ言うても説得力ないわぁ・・・

そら国を相手に係争中なんだから言及しないのは当たり前でしょ
なに狂ったこと言ってんだ
last-modified: 2021-08-27 00:00:08