【大阪市】御堂筋線・なかもず駅は「堺筋線の終点」のはずだった? 大阪市営が「堺市乗り入れ」の経緯 [砂漠のマスカレード★]
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大阪市の大動脈・御堂筋線が堺市の市街地まで行く理由
大阪メトロ御堂筋線は大阪府吹田市の江坂駅を起点に、大阪市住吉区のあびこ駅からさらに南下して、大和川を越え、堺市内を4km近く走って、終点のなかもず駅に到達します。もともと大阪市営地下鉄として建設された御堂筋線ですが、なぜ大阪市外に長く伸びているのでしょうか。
 御堂筋線は大阪市では初めての地下鉄路線として、1933(昭和8)年5月20日に梅田〜心斎橋間で開業。その後延伸を続け、1960(昭和35)年にはあびこ駅までが、1970(昭和45)年には江坂駅までが開通、北大阪急行と直通運転を開始します。
 大阪市の中枢を通る御堂筋線は、その後混雑が慢性化。輸送力増強のために、8両編成から9両編成、そして10両編成への増強と、最小2分間隔での高頻度運転化を打ち出します。
 しかしそれを実現するために車両数を増やす必要がありますが、あびこ駅に直結していた我孫子検車場は8両編成の収容が限界で、拡張する余地もなかったため、新たな車庫の建設が急務となりました。
延伸路線を急遽「乗り換え」
 一方、大阪市営地下鉄の堺市乗り入れは、府と堺市により古くから要望が行われてきました。1971(昭和46)年の都市交通審議会の答申第13号では、大阪圏の高速鉄道(いわゆる地下鉄)について、「1985(昭和60)年を目標に新設すべき路線」として、地下鉄の堺市乗り入れが挙げられています。
 その乗り入れルートは、御堂筋線ではなく、堺筋線の延伸ルートでした。動物園前駅から天下茶屋駅で南海電車に接続し、その後東に向きを変えて、杉本町駅でJR阪和線に接続し、中百舌鳥駅へ向かうというものです。
 堺筋線延伸ルートはその後進展が見られないままでしたが、先述の御堂筋線の輸送力増強計画から、車両基地の用地確保先として、あびこから堺市への延伸の計画が急浮上します。なかもず駅付近に車庫の用地が確保できる見通しが立ったことから、計画は実現に向けて進むこととなりました。
 1980(昭和55)年に御堂筋線のあびこ〜なかもず間は緊急整備路線に位置づけられ、建設が進められます。そして1987(昭和62)年、御堂筋線としては17年ぶりの新規開業区間として堺市内の区間が開業、全通に至ったのです。
 ちなみに、御堂筋線の中津〜江坂間は高架になっています。都市の郊外で用地取得が容易なことなどの背景から、コストや建設期間の面で有利な高架線が選択されたものです。では、後に開業した堺市内の区間はなぜ地下線になっているのでしょうか。
 これは、大和川を渡る際に、既設の「吾彦大橋」のすぐ隣に新たな橋をかけることになるために調整が難しかったことと、ルート上にある地上道路が狭く、高架橋を建設する空間的余裕がなかったことが理由です。大和川の下をくぐるため、大阪市・堺市の両市側で線路が30パーミル近い急勾配となっています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f5c2a3f1daf86fa7794df5ff81f0a744335e8e1 /> 5/28(金) 15:02配信
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北摂住みの市大生にとって完璧な路線だったのにね〜

白黒写真の電車、あの時代から撮り鉄っていたんだな
last-modified: 2021-05-29 16:06:02