【学術】部落研究(101) 福岡県田川郡川崎町西田原 「泥棒部落」の真実 [TENPOLE TUDOR★]
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https://youtu.be/t30fP83RUZI /> 1970年頃に話題となった「泥棒部落」が近くにあったのですが、歴史的な意味での部落には該当しないと考えられます。西田原はいわゆる、えせ同和地区に該当すると思いますがいかがでしょう。なお、もう泥棒はいないそうです。
2020年11月26日21時1分

■万引き続けて半世紀
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大正、昭和と50年、万引きを続けていた集団、福岡の田川郡川崎町の藤ヶ瀬グループのリーダー、
瀬川徳次郎(67)が手下の男女11人と、昭和46年4/21に八戸署に逮捕された。
5/6には故買部門の元締め、森沢禎三(73)が盗品を売りさばいたとして、刑の執行停止取り消しとなり入監が決定した。
森沢は3年前に懲役1年6ヶ月となり、服役していたが、病気で執行停止となっていた。
しかし病室から電話で盗品の取引の指示を出したり、上京までしていたために、
懲役1年2ヶ月10日分の残りの刑期を務める事になったのだった。
森沢は別名「ノートルダムのせむし男」と警察関係者から呼ばれ、前科12犯、15、6歳ですりを働き、
列車から落ちて足を折ってからは、故買専門となり、年商は数億円だった。
瀬川は八戸での3件だけ犯行を自供、瀬川の万引き歴は51年で、26歳年下の妻を持っていた。
4/12に福岡を出発して、万引き行脚をして歩き、今回のツアーで40店舗から1000万円分の商品を万引きしていた。
瀬川ら藤ヶ瀬グループの地元の町は350世帯800人が住んでいたが、前科者が114人という地域で、
瀬川らは地元では名士だったという。昭和46年時で、藤ヶ瀬グループは何せ半世紀もリーダーの瀬川が
尻尾を出さなかったという事からも、警察の間でも伝説的な存在だったため、
この瀬川の自供はわずか3件とはいえ、全国紙が大々的に報じるほどのニュースだった。
5/24にはTBS「ニュースコープ」が藤ヶ瀬について放送、それによれば180戸の炭住長屋に住む
大人430人中150人にスリや万引きの前科があり、すべて合わせると前科310犯に及び、年2億円の稼ぎになったという。
藤ヶ瀬グループは結城昌治「白昼堂々」のモデルともなっている。

瀬川徳次郎。福岡県田川郡下の、いわゆる泥棒村"藤ヶ瀬グループ"の長老。1971年(昭和46年)4月、一味12名を従えレンタカーで日本列島万引行の途中、青森で逮捕される。時に65歳。逮捕歴8回」
「伝承によればこの部落は明治末に大分より移り住んだ山の民で、大正期にスリの集団となり、徳次郎も少年時より技を磨いて成金どもの懐中をかすめた。
last-modified: 2021-05-30 15:14:36