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話題になることが増えた「マウンティング」
皆さんは「マウンティング」という言葉を聞いたことはありますか?
最近、さまざまなところで「マウントをとる」とか「マウントされた」とかいう言葉を聞くような気がします。
「マウンティング」の意味は「自分のほうが上位の存在だ」と相手にアピールすること。動物が自己の優位性を示すため、相手に馬乗りになることが語源のようです。
なぜかマウンティングされがちな東大生
僕は東大生がわかりやすくマウントをとっている姿は見たことがありませんが、そのかわり、東大入学後に陰口を聞く機会が増えたように感じます。
サークルや体育会に所属している友人が、酒に酔ったときに「俺の先輩の○○って人が本当に無能でさ〜」と愚痴をこぼすようなことも多々ありました。
高校までは「無能」という言葉を人に向けて使っている人を見たことがなかったので、「とても興味深いな」と思ったことを覚えています。
意外に思われる方もいるかもしれませんが、東大生は「マウンティングされる立場」になることが非常に多いのです。
「マウンティングをする人」は自信不足?
たとえば、バイトなどで「東大なのにこんなこともできないの?」とマウンティングされたというようなエピソードは自分のもの、友人のものを問わず無数に出てきます。
本来は偏差値や学力は高いほうが優位であるにもかかわらず、こうしたケースでは「東大なのに」とネガティブに使われ、マウンティングの材料になってしまうわけです。
さて、そんなマウンティングですが、「マウンティングをする人は自分に自信がない」という説があります。
居丈高に相手を威嚇するのは、実は自分に自信がないからこそ、先制攻撃の奇襲をかけて、少しでも相手の有利になろうという精神の表れなのだというのです。
他人をバカにするのは無能の証
似たような現象として、僕は「他人を見下す人は逆に自分が見下されてしまう」と考えています。
他人を「無能」だとバカにするとき、結果的に一番バカにされているのは自分自身ではないかと思うのです。
一般的に他人をバカにしたり、マウントをとったりする際に行われるのは「自分と相手の能力の比べ合い」になります。
「自分にはこれができるけど、こいつにはこれができない。だから、こいつは能力がないのだ!」というロジックでマウンティングは行われます。
しかし、こうした言動は結局、自分の無能を晒してしまうことにつながります。マウントをとればとるほど、自分の無能な部分が際立ってしまうのです。
なぜならマウントをする人は「自分の見える範囲や考えられる範囲の能力基準でしか相手を評価できていない」から。どんな人であれ、必ず優れたところを持っているものです。
last-modified: 2021-05-31 00:25:50