島田紳助、引退から10年…テレビがつまらなくなったのは、やはり紳助が引退したことが大きいのか [牛丼★]
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 2011年8月23日深夜、お笑い芸人・島田紳助さんが緊急記者会見に登場し、「暴力団関係者と親密な付き合いがあった」として、この日、芸能界からの引退を宣言する。
「どうも皆さん、こんな時間にお集りいただきまして、島田紳助の切腹の介錯をしていただきまして、本当にありがとうございました。悔いはありません。多くの方に出会えて感謝の気持ちでいっぱいです。そして自分の認識の甘さ、この3日間、十分反省した結果、ぶれることなく引退します。どうもありがとうございました」
 漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」のボケ担当として活躍し、コンビ解散後は司会業に転身。売れっ子司会者として、『クイズ!ヘキサゴン』『行列のできる法律相談所』『開運!なんでも鑑定団』など、各局にレギュラー番組を数多く持っていた。紳助さんの抜けた穴は大きく、芸能界はしばらく揺れることになる。
 紳助さんが歩んできたキャリアについて、お笑い評論家・ラリー遠田さんが、こう語る。
「コンビ解散後の島田紳助さんは、司会者として幅広いジャンルの番組を手がけてきました。なかでも特筆すべきは、1989年に始まった政治討論番組『サンデープロジェクト』で司会を務めたことです。当時は芸人が報道番組に出るのは異例のことでした」
 オファーが来た当初は「ジャンル外」として断っていたが、最終的に、2004年までの15年間にわたって司会を務めた。その後も、『歌のトップテン』や『オールスター感謝祭』『人生が変わる1分間の深イイ話』など、人気番組に長年レギュラーとして出演を続けた。
「司会者として活躍する一方、プロデューサー的な立場でも才能を発揮し、数々の番組を成功に導いてきました。2001年にスタートした漫才日本一を決める『M-1グランプリ』は、紳助さんの肝いりで始まったお笑いコンテストです。お笑いのイベントでありながら、格闘技の大会のような真剣勝負の空気を作ったことで、『M-1』はお笑い界を代表する空前の人気コンテンツに成長しました。
 紳助さんのアクの強い芸風は好き嫌いが分かれるところもありますが、司会者としてもプロデューサーとしても並外れた功績を残したと言えるでしょう」
 2011年に引退して以来、まれにインタビューに答えることもあるが、芸能界への復帰は否定している。とはいえ、親しい芸能人との交流は続いているようで、いまでもさまざまな番組で、紳助さんのエピソードが語られる。
 たとえば、2018年7月には、『クイズ!ヘキサゴン』にレギュラー出演し、お馬鹿キャラでブレイクしたつるの剛士が、紳助さんの人間性と、独特の存在感についてこう語っている。
「泣いたり、笑ったり、怒ったりする、すごく人間味あふれる方だった。本番前とかに、前室に紳助さんが入って来られるとピリッとして空気が変わる。そういったものが(いまは)なくなっちゃたような気がする。100%でぶつかってこられる方だった。人対人の緊張感があった」(『橋下徹の即リプ!』より)
 テレビがつまらなくなったのは、やはり紳助さんが引退したことも大きいのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7415fb2af8b43b93f0bb9887e2fe5c9be9fcb7b1

!?(゚〇゚;)マ、マジ...

何言ってんのこいつ
last-modified: 2021-08-24 12:47:09