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2021/07/30 05:00
史上初めて1年延期された東京五輪・パラリンピック。新型コロナウイルスの感染者が増える中での開催となったが、熱戦が続いている。東京開催に向けて、実現に尽力した政治家らに意義や思いを聞いた。
東京への招致は、「オールジャパン」の団結力で勝ち取ることが出来ました。当初は2020年開催まで7年ということで、全力で準備に臨んできました。新型コロナウイルス感染拡大を受けて、1年延期する中、開催にこぎつけたことは感無量です。
政権を挙げて、招致運動を行っていこうと決断したのは、1964年東京五輪の思い出があったからです。私は10歳でしたが、世界中の視線が日本に集まっているんだなと。世界のアスリートが大勢日本に集まったこと自体が、大変誇らしく感じたんですね。重量挙げフェザー級の三宅義信選手が金メダルを獲得した時には「ジャーク」とか言って、学校のモップを持ち上げて、まねをしていたのはよく覚えています。あの時の感動や興奮を今の子供たちにも経験してもらいたい。そんな思いで挑戦しようと考えました。
コロナ禍で、首相在任中には、「日本で五輪を開催できるのか」とも言われました。2年延期論や中止論も取り沙汰された中で、日本は新型コロナに伴う緊急事態宣言などで、感染者数や重症者数を相当少なく抑え込むことが出来るだろうと判断し、「1年延期すれば何とかなる」と開催を決めました。首相在任中の開催にはそれほど、こだわりはなかったです。大切なのは中止することではなく、様々な知恵を出し合って安全で安心な大会を行い、多くの人に感動を与えることだと考えました。
新型コロナを乗り切っていく中での開催ですが、まずワクチン接種を国内で加速し、選手の皆さんにもワクチン接種をしていただく。これは国際的な協力があって初めて成し遂げることが出来るわけですよね。五輪参加国の中には、ワクチン確保が難しい国が多くあります。日本、国際オリンピック委員会(IOC)、国際社会は協力して、アスリートへのワクチン接種を進めました。こうした行動が「国際協調」の象徴にもなると考えます。
コロナ禍では、それぞれの国が自国ファーストを強く打ち出しました。例えば、マスクや医療品の確保は「まず自国で」となり、海外で生産され、日本が必要な物品の確保が難しくなりました。なかなか今まで想定できなかったことです。同時に感染症のようなウイルスは世界全体で克服しない限り、克服したとは言えず、互いが助け合うことを忘れてはいけない。この二つは矛盾するようですが、コロナ禍で両方を確認することになったと思います。国際協調と国際協力の中で、大会を成功させることは、今後、様々な世界大会やイベントを開催していく上で、一つのスタンダードを作り出すことにもつながります。
16年リオデジャネイロ五輪閉会式では、ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに変身しました。森喜朗元首相(当時は大会組織委員会会長)から「君が 扮ふん するのが一番良いだろう。君がやれ」と打診されました。どうしようかと迷いましたが、少しでもお役に立てるのであればと引き受けました。その後、首相として出席した国際会議でも「あれは良かったね」と言われました。
(略)
※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。
ゴミが
検察とは話しがついたのかな last-modified: 2021-08-26 03:56:24