日本は撃退成功、アジア諸国は「元寇」にどう立ち向かったのか? [7/16] [昆虫図鑑★]
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(略)
 中国全土を征服したのはモンゴルが初めてだった。
 南宋は首都である臨安が陥落しても、幼帝と一部の臣下が現在の深セン市まで逃げて徹底抗戦した。最後は「崖山の戦い」(1279年)に敗れて滅亡したが、異民族の支配に対して徹底抗戦したという記憶は中国人に残ることになった。
 中国人は約100年間にわたってモンゴル人の支配下で暮らしたが、その支配を「紅巾(こうきん)の乱」という農民反乱によって覆している。農民反乱による王朝の崩壊は中国史の定番であるが、異民族支配に対しても農民反乱は有効であった。この反乱の中で力をつけた朱元璋(洪武帝)が明を建国した。
■ モンゴルへの降伏で決まった朝鮮半島の「国の形」
 モンゴルは朝鮮半島にも攻め込んだ。朝鮮半島に住む人々は、それまでも唐など中国王朝の脅威にさらされてきたが、なんとかその侵攻を防いでいた。付け根が山岳地帯である朝鮮半島は攻めにくい。モンゴルはそんな朝鮮半島に深く攻め込んできた。
 モンゴルの侵攻に対して高麗王室は「江華島(カンファド)」(ソウルの北西約50キロ、漢江の河口にある島)に逃げ込んで抵抗した。江華島と朝鮮半島との距離は1.2kmほどでしかないが、この水道をモンゴル軍は渡ることができなかった。モンゴル軍は海の戦いが苦手だった。
そのために江華島に逃げ込んだ王室は無事だったが、数度にわたる侵攻によって朝鮮半島に住む人々は甚大な被害を受けた。その結果、王室は江華島に逃げ込んでも食料を確保することが難しくなった。このような状況の中で文官グループは、徹底抗戦を叫ぶ武官グループから政権を簒奪(さんだつ)して、モンゴルに降伏することを選んだ。その時に文官グループが作り上げた降伏文書が朝鮮半島の「国の形」を決めたと言ってもよい。
 文官グループは「文官は事大主義(強いものに従うこと)を実行しようと思ったが、武官がそれを邪魔したために降伏できなかった」と仲間を裏切るような卑怯な降伏文書を作成してモンゴルに降伏した。そのあり方は、徹底抗戦を叫んで滅んだ南宋とも、元寇を撃退した日本とも異なっていた。
 高麗が滅びた後、朝鮮半島は李氏朝鮮の時代になるが、李氏朝鮮では文官が武官の上に立って統治する体制が確立された。そんな李氏朝鮮は明や清に徹底的に臣従する政策を採用した。
 李承朝鮮の支配層は明や清に卑屈な態度で接する一方、国内に対しては徹底的に権威主義的な態度で振る舞った。文官は儒教(朱子学)を振りかざし、屁理屈をコネ回して民衆を支配した。
 安全保障を隣国に丸投げして、文官が民衆に対して威張り散らす体制を構築した国は李氏朝鮮ぐらいだろう。1897年に大韓帝国と名前を変えたが、李氏朝鮮は実質的には日本に併合される1910年まで500年以上も存続した。そのために、今でも朝鮮半島に住む人々の心の中には李氏朝鮮時代の記憶が鮮明に残っている。現代の韓国の政治や外交政策を理解するには、李氏朝鮮を理解する必要がある。時にヒステリックに相手を攻撃し、前言を翻しても平気でいられる体質は李氏朝鮮時代に培われたと考えられるからだ。
■ 「米国に勝利」につながるベトナムの戦い方
 ベトナムもモンゴルの侵攻を受けた。ベトナムは中国と陸続きであり元は3度にわたってベトナムに侵攻している。元はハノイを占領した。
 モンゴルが侵攻した時、ベトナムは陳朝であったが、モンゴル軍があまりにも強いので、皇族の中にも元軍に降るものが出た。そのような状況の中で、時の皇帝・仁宗は降伏したいと言い出した。その時、将軍の陳興道は廟議において「降伏するのならこの首を切ってからにしてほしい」と皇帝に強く戦いを迫った。このシーンはベトナム史の名場面として、今もベトナムの人々の間で熱く語り継がれている。
 仁宗は戦いを決意した。陳興道は弱気になりがちな仁宗を励ましながら、森に隠れてゲリラ戦を陣頭指揮した。
 元軍は圧倒的な戦力を誇りながらも、亜熱帯でのゲリラ戦に勝つことができなかった。熱暑に疲弊した元軍は一度撤退して陣営を立て直そうと考えた。その際に、紅河デルタの白藤江(はくとうこう)を下って撤退しようする元軍に対して、陳興道は下流域の河床に何本もの杭を打って待ち伏せすることにした。杭は満潮時には見えないが潮が引くと現れる。元軍の船が杭に挟まれて動けなくなったところを小舟に乗ったベトナム兵が襲いかかった。白藤江の戦いで元軍は全滅に近い損害を受けた。
 この民族の物語は、小国であるベトナムがなぜ強大な米国に勝利することができたかを考える上で重要である。
(全文はソースで)川島 博之
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd789b161fd44e68ffb277e115778326d8b26ed4?page=1

変態重武装騎馬武者に勝てるわけがない

安全保障を隣国に丸投げして、文官が民衆に対して威張り散らす体制を構築した国は李氏朝鮮ぐらいだろう。
今の日本じゃねーかw
last-modified: 2021-08-26 04:35:26