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【事件概要】
1963年(昭和38年)3月31日の夕方、東京都台東区入谷の工務店経営・村越繁雄さんの長男で、
当時4歳の吉展ちゃんが自宅前の入谷南公園で行方不明になった。
2日後の4月2日以降、犯人から連日吉展ちゃんの家に脅迫電話がかかり、
4月7日未明には「現金50万円を指定の場所に持ってくるように」要求。
指定場所には目印に吉展ちゃんの靴の片方を置いておくという。
警視庁は現金受け渡し場所での逮捕を狙ったが、捜査員が現場に到着する直前に、
犯人は母親が指定場所に置いた現金50万円を奪って逃走。
このあと、犯人からの電話はぷっつり途絶え、捜査は行き詰まった。
マスコミは、吉展ちゃんの安否が分からないため、犯人を刺激しないように報道を差し控えていたところ、
4月19日、捜査本部は公開捜査に踏み切った。
【捜査】
捜査資料を見直しをした結果、6月23日から最後の容疑者として
窃盗罪で刑務所に服役中の元時計商を東京拘置所に移して取り調べが続けられた。
その警察の執念が実って、取り調べの時間切れが迫った最後の7月4日夜、
突然、この男のアリバイが崩れ、全面自供となった。
この男はそれまで「吉展ちゃんが誘拐された日を中心に1週間ほど郷里福島県に帰っていて、東京には居なかった」と言っていた。
ところが、最後の取り調べの過程で、たまたま、事件とは全く関係ない荒川区日暮里の大火(4月2日の昼火事)が話題になった時、
男は「電車に乗っていたら窓から原子雲のような煙りを見た」と話し出し、郷里にいたのは犯行前日迄と分かる。
捜査員はすかさず「福島にいて日暮里の火事が見えるか」と一気に矛盾点を追及。
観念した男は「私がやりました」と自供し、吉展ちゃんを埋めた寺の地図を書いて捜査員に渡した。
【事件解決】
吉展ちゃんは、事件発生から2年3か月後の1965(昭和40)年7月4日、荒川区南千住の円通寺境内の墓石の下で発見された。
その後の自供で犯人は、
①誘拐したその日のうちに吉展ちゃんを殺害し、まだ、生きているかのように装って脅迫電話を掛けていたこと、
②「犯人の声」の放送の後、自分の声の特長が出ないように苦心して「作り声」をしていたこと、
③吉展ちゃんを誘い出した言葉は「坊や、すごい水鉄砲だね」だったこと、などが分かった。
参考サイト
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no51.htm
ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yosinobu.htm
ttp://yabusaka.moo.jp/yoshinobutyan.htm
ttp://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage49.htm
2009年11月9日19:00~
テレビ朝日「報道発 ドキュメンタリ宣言」でこの事件について放送予定!
平塚八兵衛の"遺言"
~昭和史最大のミステリー~
ttp://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/
吉展ちゃんのご両親は
ご存命なのかしら last-modified: 2021-08-26 07:22:16