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私の故郷は、県のちょうど真ん中にある郡山市です。震災から半月後、郡山で友人たちと落ち合って、太平洋岸の南相馬市に車で向かいました。
高さ十数メートルある橋まで津波が来たと聞いて驚きましたが、それ以上にショックだったのが、人影がまるでなかったことです。
事故を起こした福島第一原子力発電所から30キロほどの場所でした。
福島から宮城へと流れる阿武隈川が、子どものころの遊び場でした。仲間と泳いでいる上流で、農家のおじさんがたわしでベコ(牛)を洗っています。
気持ちよくなったベコは大量の小便をして、それが泡の山になって流れてくるんです。見張り役の子が「来るぞー」と叫ぶと、私たちは「わーっ」と逃げます。
原発周辺では、そんな川遊びもできなくなってしまったのです。
故郷にはかつて、「前の戦争ではえらい目にあった」と、太平洋戦争ではなくて戊辰戦争のことを指して言うお年寄りがいました。
2年前の大河ドラマ「八重の桜」で私が演じた会津藩家老の西郷頼母(たのも)も、そうした「えらい目」にあった一人です。
新政府軍との戦いで、足手まといになってはならないと、妻や子どもたちが自害してしまうのです。
まじめ一方の福島の人たちばかりがなぜ、歴史的な苦難を背負わなくてはいけないのでしょう。
生徒のみんなに会ったら話したいことがあります。小学生のころ先生から教えられたことです。
「車は左、人は右。それで本当に良いのか」と先生は尋ねました。「心臓は左にある。心臓が車に近くならないよう、左を歩いた方が安全だ」
と言うのです。私は「人は右」というルールにそれまで何の疑問も持ちませんでした。難しい言葉で言えば、既成概念を打破することに
未来があるのではありませんか。
20年前に阪神大震災が起きました。4年前が東日本大震災です。その間にも、新潟や鳥取、いろんなところで大きな地震が起きています。
日本全国どこに住んでいてもひとごとではありません。
原発が再稼働されようとしている地域の人たちには特に言いたい。わが故郷・福島の人たちは「原発は安全・安心だ」とずっと信じてきました。
でも、起こらないはずのことでも起きてしまうのです。「俺のところは大丈夫だ」と本当に信じていいのですか? last-modified: 2021-05-09 15:11:34